保育士生活で感じた疑問や経験
子どもを笑う保育士
子どもって大人が思いもよらないことを言ったり行動をしたりで、その一生懸命さがたくましくもあり、見ていてとても微笑ましいですよね。この仕事をしていると一応子どもの行動そのものは理解しているつもりですが、それでも週に何回かは訪れる思いもよらない子どもの仕草をわくわくしながら楽しみにしていました。子どもの微笑ましい語録を作りたいと真剣に思っていたこともあったほどです。
けれど一方では、あまり子どもに関わる機会の少ない一般の大人の人達にとって、そんな子どもの行動は正しく理解出来ずに、驚くとともに笑いの対象にまでしてしまうことがあるようです。
テレビ番組でも子どもの素直な言葉や行動を笑いの対象にしているところを何度か見ました。もちろんそれに関わる大人の人達に悪気はなく、可愛いからという単純な発想からなのはわかるのですが、相手が子どもだからといって何も感じていないとでも思っているのでしょうか?
何度もおもしろいことばを喋るよう誘導され、疑いも無く一生懸命それに応える子どもを見て、会場の大人達は笑っています。なぜ笑われているかもわからず、どうしたら良いのか困りながらも、一生懸命それを続ける子どもの顔がアップで映し出されるのに目をそむけたくなるのは私だけでしょうか。
しかし、保育士という仕事に就いている人のなかにも、同じような感覚の人がいるのも事実です。また、本人もそれ程悪気が無いというのも逆に残念なことです。どう考えても一番子どもの立場に立って理解をしなければならない人達がすることではないと思います。
思い出すのもいやなので詳しく書くのはやめますが、現場でも沢山のそんな場面を見てきました。わざわざ他の保育士達を集めて笑いの対象にしているところも何度か見たことがあります。子どもの言葉や仕草を笑って見ていても、それが微笑ましく思っているのか悪乗りしているのかは、普段の子ども達への対応を見ればすぐわかるものです。
子どもを利用する保育士
記事:「保育士ってなあに?」by 瞳先生
保育士の資格をとって最初の年、年中20名くらいを担任していました。秋の運動会の遊戯を年中2クラスで行うのですがその内容は新体操に使うようなリボンを一人一人の子どもが持ち、歌詞のない曲のみに合わせ男女ペアで踊るという4歳児にはとても無理なものでした。
そしてそれは子どもの成長発達に無関心な主任保育士の機嫌をとるために企画されたものなのです。その園では一年目だった私ですが、もう一人の先輩保母に何も言えなかったことは今でもすごく後悔しています。子ども達の為にも自分の為にもそこで勇気を出して反対の意思を示すべきだったと反省しています。
さて、その年中児の中には普段から多動ぎみの女の子Kちゃんがいました。積極的にそういった子を受け入れていない保育園だったし、担任であるもう一人の先輩保母もわずらわしく思っているように見えます。そのKちゃんとペアを組まされたのは4月生まれのとてもしっかりした男の子M君。明らかにもともと無理であるこの遊戯の足手まとい(その園での誤った表現です。)になるKちゃんの負担を一人の4歳児に背負わせたのです。
練習では何度も怒鳴られ子ども達にとっては緊張の連続だったはずです。そんな中でもM君がKちゃんに手取り足取り付きっ切りで面倒を見たおかげで、当日の運動会ではKちゃんもみごと踊りきりました。けれどその過程にどんな意義があったのでしょうか?もちろん純粋な4歳児M君にとっては「自分は期待されている」という自負もあったかも知れません。
しかし、保育者の立場から考えれば、M君にとってやり遂げた充実感よりも大人の都合のよい期待に応えなければならない負担は、とても意味があるようには思えませんでした。私は一人の4歳児のけなげな一途さの上にあぐらをかいた大人である先輩保母の怠慢さに罪深ささえ感じます。
大人が望めば子どもは自分を犠牲にしてまで一生懸命尽くす力があります。「いとおしい、かわいい」という一言で片付けてはいけない気がします。たしかに子どもの持つ一面だと言ってしまえばそれまでですが、大人の理解が不十分なのも事実ではないでしょうか。
そのことが昨今は児童虐待の犠牲になっている子ども達と重なってしまいます。保育園という施設の中でさえ子どものけなげさを大人が利用し、また平気で踏みにじっていることもあるのです。そういう私自身も時々保育を振り返って見なければいけないと思っています。
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